障害は不便だけど、不幸じゃない。
こんばんは、myao🧸です。
お久しぶりです。
ま―――――た日が開いちゃいました💦
コンスタントにblogアップしようと思うんですが、根気強く続けるのが苦手なようです。
修行が必要ですね(笑)
今日は精神科の通院日でした。
Twitterにも書いたのだけれど、精神の受給者証を出したはずなのに
「受け取ってない。こちらは捜したが見当たらない。myaoさんもよく探しておいてください」と言われ、泣く泣く帰ってきたという事件がありました。
ただ、帰りに図書館に寄って本を眺めていたら、
泣いたカラスがもう笑ったと申すように、すぐ気分が元に戻りました。
今は斉木香津さんの本を1冊読み終わって、今は坂口恭平さんの「躁鬱大学」を読んでいるところです。
少し他の本に浮気しつつも、楽しい穏やかな夜を過ごしています。
ただ、こんなゆったりとした時間でも少し考えることはあって。
それは以前ツイートした「夜しか開かない精神科診療所」(片上徹也・著)の中で、こんな言葉があったことを思い出したのだけれど、、、
「障害は不便だけど不幸ではない」。
このフレーズ。その通りだなと思います。
精神科に通うようになると、というか通うようになるほどの症状が出始めると、
自分はAという病気なんじゃないか、あれBという障害の症状も出てるな、あ…よく考えるとCも…とどんどん坩堝にはまっていくと思います。
障害を自ら作り出している感じ。
でも、病気と診断されたり診断書を書いてもらったり障がい者手帳を持つようになっても、病気や障害は生きていく上でのハンデではあるけれど、病気=不幸ではないのだと思います。
こうした穏やかな夜を過ごしていても、心のすき間にさっと素早く闇が入り込むこともあって。
そういう時は同じ病気で苦しんでいるけれど闘っている人の本(上記した坂口恭平さんの本はおすすめです)や、YouTubeの動画 闘病vlogを見たりして過ごしているのですが、自分がこんな気持ちで闘病しているよーということを、私も発信してみたら面白いんじゃないかと、こうしてブログを書いている次第です。
病気は病気。でも病気=私じゃないし、病気=sekainoowariでもない(笑)
(セカオワの人に失礼)
そのフレーズ耳にタコができるくらい聞いたわ!!!
って叫び出したい人もいるとは思うけれど。
私は16年間病気と闘ってきたのだけど、そしてこれからも闘病は続くと思うのだけれど、きっと寛解はする日がくる。
だって、リス○カットしているおばあさんはいないし、ODして運ばれるおじいさんもいないだろうし。←極端な例だけど。(この比喩はどっかでみた・聞いた言葉をそのまま載せてるから、引用元が分かったらどなたか教えてください。他力本願😢)
鬱と躁の波はあるし統合失調症の被害妄想もあるけれど、15歳の頃に比べれば劇的に良くなった。
私がTwitterで日々発信を続けていることも、ブログを気ままに続けていることも、
好きだからやっていることだから本末転倒になっちゃいけないんだけど、
この好きだからやっていることが、誰かを巻き込んでみんなが気持ちを楽に持てるようになって、穏やかに楽しく幸せに暮らしていけたらいいと思う。
ぐだぐだ語ってしまってすみません。
何を書きたいか分からない記事になってしまったけれど、こんな感じで締めくくります。
とりあえず、今日も1日生きた💮
myao🧸